Schonebeck → Berlin
今までハンブルグまでの半分以上600km近くを走り終えた。
今までハンブルグまでの半分以上600km近くを走り終えた。
このままでは早くハンブルグに着きすぎてしまう。
時間があればベルリンにも行こうと思っていたので、足を休憩させる意味も込めてベルリンに行くことにした。
走るだけでなく音楽も聞きたい。
そこで、ネットでベルリンのホテルの予約をした。3泊し14日にMagdeburgに帰ってくることにする。往復は電車
山がちの日本ではあまり出会えない。
それから左上を押して行き先を入力し、枚数、すぐに乗るのかなどを入れる。
その後、表示される金額を入れると買えるのだ。
左上のLeisure and special offersを押す。
上から4番目に1日有効なバイク切符とあるのでこれを押すと5ユーロで買える。
買い方がわからなかったので教えてもらい買った。
次からは大丈夫だろう。
ここは日本と同じ。
自転車
ベルリン駅はBerlin Hbf
ベルリンに着いた。
駅のビルを出るとすぐイステーブルでカフェがある。早速ビールを飲む
なんという国なんでしょう。
何の戦勝なのかわわからないのだ。
「デンマーク戦争に勝利した記念に建立された。
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(シュレースヴィヒ=ホルシュタインせんそう)は、シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国を巡って、デンマークとプロイセン王国および関係国によって行われた戦争。2回にわたって行われ、第一次は1848年から1852年にかけて休戦を挟んで断続的に、第二次は1864年に行われた。第二次の戦争がプロイセン側の勝利となり、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国はプロイセンとオーストリア帝国の管理下に置かれ、後にプロイセンの州となった。高等学校世界史教科書などではデンマーク戦争と表記されている。戦争勃発の起因となったのは、19世紀に沸き上がった両公国民による民族主義の昂揚であった。フランスで起きた2月革命はヨーロッパ諸国へ飛び火して1848年革命となり、1848年革命は各国で民族意識の高揚を起こした。シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国はデンマーク王の継承権によりデンマーク王国の勢力下にあり、北欧では汎スカンディナヴィア主義が台頭する一方、両公国の住民の多くはドイツ系であり自治とドイツへの統一を求めていた。この問題はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題(デンマーク語では南ユラン問題)と呼ばれていた。」
5階だがファミリールームを一人で使わせてくれる。
通常の3倍はある広さ。ベッドが5台もある部屋。
ここに3泊する。
明かりが天井から入り部屋が明るく気持ちいい。
今日の夕食は、そのうちの1軒でカレーWURSTを手に入れる。ビールは3種類。
9時40分の夕焼け
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